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    2008.08.31 Sunday

    仏教塾レポート:大乗仏教論「般若と空」

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      やっと三つ目のレポート完成。

      これは難しいテーマだ、というより面白いテーマ、いくらでも知りたいことが一杯で止められない。今日も図書館で本を見ながらレポート作成をと思ったが、読みたい本ばかりで取り止めがなくなりそうなので今まで調べたことと、手元の資料で作成した。
      案外時間がかかったなぁ、原稿書き上げるまでに食事を含んで6時間だ。

      梶山雄一「空入門」、立川武蔵「空の思想史」も読みたかったが、断念。

      さて以下はレポート原稿だが、実際の手書きレポートは少し修正している。最後もちょっと違うんだが、まぁ好いか。

      大乗仏教において、「般若」と「空」の概念は大切だとされる。さてその意味は?といっても定義をきちんとしないといけないので、まず関係する資料からこの言葉の定義を探し出してみる。
      「般若」については大体の辞典では「プラジュニャ」の音写で「智慧(ちえ)」と訳される。この訳をみると、仏や一切の物事を理解するための判断能力、知性ということであろうということでなんとなく理解できるような気がする。真実、存在のすべてを把握するための何かの力であろう。
      しかし「空」については、非常にわかりにくい。
      『仏教用語の基礎知識』によると、すべてが関係において生起する縁起の場に置いては固定的実体を持つものはないことをいう。物事に固執することを避ける事だが、何もないということではない。『仏教日常語辞典』によると、すべての物や事柄は、多様な関係性のうえに変化し続けている(因縁所生)ので、実体がないということ。『仏教語大辞典』によると、もろもろの事物は因縁によって生じたものであった、固定的実体がないということ。縁起しているということ。
      「空」については簡単そうでその意味を捕まえるのは難しい。本レポートでは「空」について主体的に述べる。

      仏陀の教えは対機話法ということで、聞き手の立場や能力に応じて行われた。その教えは仏陀の入滅後弟子たちによって説法や規則が決められ、それが教えの「法」、規則の「律」、法の解釈として「論」のそれぞれの経典となった。その後出家者中心に信仰は進められたが民衆にとって難解なものになったために悟りを求めながらも一切の衆生を救おうという大乗仏教が現れた。その大乗仏教の中心に「般若経」があり、ここに「般若」と「空」という言葉が現れる。三蔵玄奘が漢訳した『大般若波羅蜜多経』は六百巻という膨大なものであり、そのエッセンス『般若心経』である。これは三蔵玄奘がわずか二百六十二文字の中に大乗仏教でいう仏陀の教えを集約したものである。以下は般若心経に基づき論じる。

      『般若心経』とは『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』といい、略して『心経』と呼ぶこともある。「仏説」は悟りを開いて仏となったお釈迦さまをはじめ、多くの仏さまが説き示した真実の教えということである。ここに「般若」という言葉がでてくるが、これは最高の智慧ということである。「般若」とは、悟りの彼岸に至るための波羅蜜多や悟りに至る道である八正道などを修めることによって現れてくる真実の智慧とされている。迷いの煩悩に満ちたこの岸(此岸しがん)から、悟りの彼の岸(彼岸ひがん)に至る事によって般若を得る事が出来る。
      冒頭、観音様が修行をしているときに「照見五蘊皆空」とあり、「万物のいとなみは、すべて"空"である」とおっしゃった。空とはすべてのものは実体がないということであるが、人間も含めてあらゆるものが変化していくのものであるから、そのものに実体がなく絶えず変化し続けるから「空」だと言われる。原因と結果という因果によって依存するから「空」なのである。このこだわりのない「空」の境地に至れば、こだわりから生じる一切の苦しみや災厄を克服することができる。
      『心経』にはこのあと「空」であることの説明が続く「色不異空
      空不異色」、形あるものは空と別のものではない。空であることと形あるものとは別のものではない。次に「空」に関して有名な文がある。「色即是空
      空即是色」この意味は「存在するものは空であり、空がすなわち存在するものである」ということであるが、ここにものの本質的なあり方がかかれている。
      「空」の原語「シューニャ」は「空虚な、からの、空いている」などの意味で、インドの数学においてはゼロをあらわす言葉である。これが仏教では全く新しい意味を与えられて「永遠不変の実体性がないこと」の意味で用いられている。他の助けを借りずにそれ自体で存在するものが「実体」であるとすれば、この世においてそのようなものは何一つないということが色即是空の意味であり、「この世に存在するものは無実体である」ということができる。
      このあと「是諸法空相」とあり、「すべてのものは、空という性質を免れることはできない」。つまり全てのものに実体がないと言い切っている。また「是故空中無色」、空の中には色もないとしている。
      『心経』の中で述べられる「空」は全て「無」という否定詞がつけられている。「〜も無ければ、〜もないし、また〜も無い」というように、出てきた言葉が全て否定されている。この世のあらゆる物事が、ただただ否定されそれが「空」で説明されている。
      「空」それは、この世に存在する何物も「実体ではない」こと。
      つまり『心経』によるとブッダの教えもすべて「空」となり、結局は「空」に関する説明もできないことになる。しかし「空」は人の「苦」も取り除いてくれることになり、そこに私たちを「苦」から救う。

      参考文献
      ・ 大法輪6月号「知っておきたい仏教の常識」
      ・ 三田誠広「般若心経の謎を解く」
      ・ 山名哲史「声に出して読む般若心経」
      ・ 武田鏡村「面白ほどよくわかる般若心経」
      ・ 増谷文雄・金岡秀友「仏教日常辞典」
      ・ 山折哲雄「仏教用語の基礎知識」
      ・ 中村元「仏教語大辞典」
      ・ 宮元啓一「般若心経とは何か ブッダから大乗へ」
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